素朴な疑問

「吸う権利」と「吸わない権利」・・何処に共存点、あるいは棲み分けが出来るのか、 きちんと健全に議論されている場面は一向に見えないと辟易するわけだけど・・ こうした嫌煙者に対する素朴な疑問として、毎度のように思い致すことは・・ 彼らは、そこまで煙に対して過敏になるということは、当然ながら「健康」という題材について、 よほど日常からすべからく神経を使い、健康管理には厳格に対処している・・ と捉えてよいと思うのだが。 即ち普段の食事、衛生面、生活上の安定要件(規則正しい睡眠や運動)、 数々のストレス要件の回避、成人病予防、生活習慣病予防・・ これらのおよそ大半についても、きちんと気を配り、絶対的に健康管理に留意している・・と。 他方では、健康面を取り巻く外的要因・・即ち大気汚染類の数々、水を始めとする公共財、 紫外線対策、工商業等などから排出される汚染物質や臭いの数々、 果ては公共空間内における体臭や口臭、過度な香水や柔軟剤の数々・・

これらにまでくまなく神経を配り、可能な限り透明で澄んだ空気でないと健康を保てないのだ・・ とし、その環境でないと健康体ではいられないのだ、だからその筆頭格である 煙草の煙も認められないのだ・・というほどのレベルにあると解釈するに足りる、と。 まさか、そこまで真剣に健康を考え被害を訴える人が、タバコだけが健康の諸悪の根源だとし、 これのみに特化しているわけじゃありますまい。 まさか、暴飲暴食や遊興で寝不足を重ね健康を脅かしながら、 煙に対してだけ必死に訴えてるわけじゃありますまい。